『ウォーキング・デッド』シーズン1の感想

 

『ウォーキング・デッド』最新シーズンであるシーズン9(2019年4月現在)を観終わって、改めてシーズン1を観なおしての感想です。

 

大きく分けると以下の感想を持ちました。

  1. ウォーカー(ゾンビ)は重要ではなく、その世界に生きる人間ドラマである。
  2. 人が徐々にその世界に慣れていく過程の描き方が秀逸。
  3. ダリルのキャラが不透明

 

ウォーカー(ゾンビ)<人間ドラマ

 

最近のゾンビ映画もそうですが、キャラ設定が秀逸で、そうなってしまった世界をどのように生きるかという人間の生き方が描かれた作品が多いように思います。

 

昔(70年代頃)のゾンビ映画は、ゾンビそのものがメインで、そこでなんとかがむしゃらに生き残る人間が描かれる映画が多かったように思います。

 

とはいえ、映画の場合はたいてい120分のなかに物語を集約しなければならないので、そこまで丁寧に人間ドラマは描かれません。

 

その点『ウォーキング・デッド』は、最初からどこまでのシーズンを描こうと考えていたのか分かりませんが、シーズン9までみて改めて最初のシーズンを振り返って見ても、それぞれのキャラクターが徐々に強くなろうとする過程や、諦めてしまう気持ちがリアルに描かれていると思います。

 

リックとグレンが出会うデパートのシーン(このデパートのシーンは少し映画『ドーン・オブ・ザ・デッド』に似ている)で、アンドレアが妹(エイミー)が好きそうなペンダントを見つけます。

 

これが120分の映画なら、ためらうことなくそのペンダントをポケットに入れると思いますが、アンドレアはそうしません。

 

ペンダントを見つめるアンドレアに、保安官であるリックが「持っていけば?」と盗むこと示唆するのです。

アンドレアはなおも「窃盗罪になるでしょ?」ととまどいますが、誕生日が近いエイミーのために、結局もらって行きます。

このシーンはとてもアンドレアの人間性を感じる場面だし、長期間続くドラマならではのシーンだとも思います。

 

ダリルのキャラクターが不透明

 

シーズン中盤からリックとともにリーダーとして仲間を牽引する人気キャラクターのダリルですが、シーズン1ではそのキャラクターがまだ不透明です。

 

野蛮な兄(メルル)を慕い、その所作を真似て強がる弟キャラと思いきや、兄への強いこだわりも、第6話であっさりどこかにいってしまいます。

 

みんながCDCに向かって採石場を離れる決断をした場面では、最初のダリルの印象ではひとりで採石場に残るか、やはり兄を探しに行くと思いますが、そういったそぶりを見せることもなくあっさりみんなと行動することに決めます。

 

シーズン9の序盤、リックがいなくなる前、ダリルはリックに「お前のためなら死ぬこともできる。」と言うシーンがあります。そのときにCDCのシーンを思い出し、「あのときリックだけが諦めず、シャッターが開いて、その瞬間にリックに付いて行こうと思った。」というようなセリフがありましたが、それはそもかく、その前に、兄を手錠にかけたことを許してしまった過程が曖昧すぎる印象です。

 

メルル救出に向かった過程で、リックとグレンの人間味にふれて、この仲間とずっと一緒にいようと思ったのかもしれません。

または、最初の印象通り「典型的な弟キャラ」で、結局は誰かに付いて行きたいタイプなのかもしれません。

野生的で強いけど、決してリーダータイプではないのでしょう。

 

シーズン1ではダリルのキャラはまだまだ不透明な印象ですが、だからこそダリルの変化が注目ポイントでもあります。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です